
司法書士の角田勇気(かくたゆうき)と申します。
私は、北海道函館市で生まれ育ちました。小学校から高校まで野球に打ち込みながら、パイロットになりたいと思っていて、勉強も頑張りました。パイロットの夢が破れ、目標がないまま大学を卒業後、不動産関係の営業の仕事をし、その後、京成電鉄に転職し、駅員の仕事をしながら八千代中央図書館に通って勉強して、司法書士の資格を取りました。
私が司法書士を目指したきっかけは、営業の仕事で知り合ったある社長の「人の役に立たなければいけない」という言葉でした。その社長は、建て前ではなく、人の役に立つために仕事をしているように見えました。大学で法律の勉強がおもしろいと思っていたこともあり、法律に関する資格を取って人の役に立つ仕事がしたいと考え、司法書士という資格を選びました。
実際に司法書士として仕事をしてみると、多くの人が一度は経験する相続など、司法書士はとても身近なところでみなさんのお役に立てる仕事だと実感し、大きなやりがいを感じています。「ちょっと聞いてみようかな?」くらいの気持ちで気軽にお立ち寄りいただきたいと思い、ジョイフル本田八千代店に事務所を構えました。どうぞよろしくお願いいたします。
私は、北海道函館市で生まれ育ちました。
小学校3年生の時に少年野球チームに入り、高校まで野球を続けました。野球に打ち込みながらも、物心がついた頃からずっと将来の夢はパイロットで、その夢のために勉強も頑張りました。ところが、視力が悪かったためパイロットの夢を諦め、パイロットに近い仕事をしたいと考え、航空管制官の採用試験を受け、高校卒業後は運輸省(現国土交通省)航空保安大学校に入りました。
飛行機好きの仲間との航空保安大学校(当時は羽田空港にありました)での寮生活は楽しかったのですが、大学への憧れがあったことと、パイロットへの未練も断ち切れず、1年で運輸省を退職し、浪人して同志社大学へ進学しました。
(パイロットの養成機関である航空大学校の受験資格に「大学に2年以上在学」等の要件があったため、大学に行く必要がありました。)
そして、大学2年生の時に近視矯正手術を受け(当時、近視矯正手術を受けた人はパイロットになれないことになっていましたが、出願要件の「裸眼で0.1以上の視力」を満たしていなかったため、手術を受けました。※現在これらの要件は緩和されているようです。)、航空大学校を受験しました。学科試験合格後の身体検査で、(近視矯正手術を受けたせいなのかはわかりませんが)不合格になり、やっとパイロットを諦めました。
大学卒業後は地元の函館に戻り、塾講師をした後に転職し、住宅の営業の仕事をし、その時に宅地建物取引士の資格を取りました。その後、転職し不動産広告の営業の仕事で函館→福岡→埼玉へ転勤しました。私はもともと営業に向いてるタイプではないと思っていますが、誠実に仕事をすることを心掛けた結果、営業成績は良い方でした。成績に応じて給料も増えましたが、会社の利益になってもお客様の利益にはならない営業もしなければならないこともありました。優しいお客様の中には、効果がないのを承知で付き合いでオプションの契約をしてくださった社長もいらっしゃいました。世の中、ある程度そのようなことはあるものなのかもしれませんが、もやもやするような気持ちがありました。そんな中、営業先の会社の社長とお話をした時に「人の役に立たなければいけない」という言葉を聞き、目が覚める思いがしました。その社長からは、人の一番の喜びは人の役に立つことで、仕事は人の役に立つためにする結果として報酬をいただくものだということを教えていただきました。それから、自分がどんな仕事をしたいのかを考え、特に理由もなく選んで行った大学の法学部で法律の勉強がおもしろいと思い、いつか法律関係の資格に挑戦してみたいと思って燻っていた気持ちに火が付き、司法書士試験に挑戦する決意をしました。
営業の仕事をしながら勉強時間を確保することが難しかったため、勤務時間がきっちり決まっていて勉強と両立できそうで、尚且つ、公共交通機関ということで「人の役に立つ」という意味でもやりがいを感じられそうだと思い、京成電鉄に転職し、駅員の仕事をしました。仕事以外の時間をすべて勉強に当てて、休日は八千代中央図書館で勉強し、何とか司法書士試験に合格できました。
京成電鉄はとてもいい会社で、職場の人もいい人ばかりでしたので、最後まで迷いましたが、頑張って取った資格を活かしたい思い、千葉県市川市の老舗事務所に勤めて勉強させていただき、自宅ある八千代市で開業することになりました。